道路標示の誕生 北海道における道路標示の歴史 道路標示の種類と変遷 路面標示の歴史
道路標示の誕生


 我が国における路面標示の歴史は、大正9年の東京市において「電車線路横断線」を、石灰水による2条の白線により標示したのが始まりとされている。
 その後昭和8年ころから横断歩道、停止線のほか、センターラインやレーンメークなどの路面標示が東京市を中心に普及してきた。
 当時の標示材料は石灰粉およびトラフィックペイントが使用され路面にとっては金属製の道路鋲などが用いられた。



 昭和22年に公布施工された「道路交通取締法」によって初めて「区画線」の名称が法的に裏付けされた。第5条に「道路を通行する歩行者・車馬または軌道車は命令のさだめるところにより、信号機、道路標識若しくは区画線の標示また当該警察官の手信号若しくは指示に従わなければならない」と規定された。また、同年12月に公布された道路交通取締令では区画線を「歩道、車道、横断歩道、停止線、安全地帯、駐車場等を区画する道路上の縁石、敷石又はさく、その他の標示による線をいう」と規定している。


 昭和28年の道路交通取締令の廃止にともない、新たに制定された道路交通取締法施行令でも「区画線とは、車道、車馬通行区分帯、駐車場等を区画し、又は標示する縁石、さく、その他の標示による線をいう」と定義されている。
 しかし、まだ当時の道路舗装率は低く、区画kせんの様式を統一する機が熟さず、国が定めた統一的な区画線のないままに推移していった。
 昭和35年になって、総理府・建設省令として「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」が新たに制定され、区画線、道路標示が全国的に初めて統一様式となったのである。

昭和40年頃のペイントメーカー米国プリズモ社 昭和41年 北海道内の第1号ペイントマーカー

北海道における道路標示の歴史